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ゲルハルド・K・ピエロット:リヒトウェーゼンの始まったストーリー

1990年に私たちゲルハルド・K・ピエロットとぺトラ・シュナイダー博士はドイツのケルンのディスコで出会いとてもよい友達になりました。そしてお互い興味のあるスピリチュアリティや瞑想やエネルギーワークについて話し合いました。後に二人ともレイキマスターになりプラーナ・テクニックを学びました。私はカラーパンクチャーという、ピーター・メンデル氏が鍼治療から考案した針の変わりに色の光を使った治療法に関心をもち、ぺトラは誘導瞑想とトランスに関心を持ちました。私たちは表向き、仕事の同僚には秘密の二重生活をし一方ではスピリチュアリティと瞑想の学習を続けました。1992年に私たちは高い給料の仕事をやめホリスティックヒーラーになることを決めました。インドに渡り生活費を抑えながらドイツで正式な資格を取る準備をしました。ぺトラはドイツ農務省で高いポジションで仕事をしており環境プロジェクトの責任者でした。私はIBMで人工知能の産業利用の専門家としコンサルタントをしていました。私たちは何か新しいものがくることを感じたため、お金と地位だけでは幸せになれないと考えキャリアを投げ出しました。

私たちは1993年にドイツに帰国し、私は教育を受けビジネスコンサルタントの仕事をし、ぺトラはレイキとエソテリックのセミナーを始めました。私たちは中心街から離れた場所に小さな古家を借り静かな生活を送りました。また、瞑想しオルタナティブヒーリングに関わる人たちと友達を作っていきました。

毎朝近くの小川の周りでジョギングし、その後に座って瞑想をしました。1993年のある初夏の朝、静かに瞑想をしていたところアセンデットマスター・サン・ジェルマンが私たちに現れ、アセンデットマスター達ともっと関わりたいかとたずねました。翌日後その申し出を受け入れたことにより、すぐにサン・ジェルマンによる教えが始まりました。私達は水とオイルにエネルギーを入れることを学ぶとともに、情報とエネルギーを物質に閉じ込めその情報が漏れたり変わったり薄まったりしない方法を学びました。

数日後、サン・ジェルマンは私達をアセンデットマスター・マハ・コハンに紹介しました。彼は私達がエネルギーを入れた水とオイルを個人的に使うことができるようにしました。それらを脈や首、おなかにつけて瞑想することで私達は更なる情報をマハ・コハンから受け取りました。情報の中には彼の使命、特殊能力、誘導瞑想により彼とのコネクションを強めること、彼がどのように人々のスピリチュアルな発達を助け自分のポテンシャルを使うかがありました。私達はもちろん彼の助言通りにそれらのメモを取りコンピュータに打ち込み、プリントアウトしてファイルに入れました。さらに私達は自分たちのこと多く学びました。私達の思考の癖や限界そして洞察とトレーニングを受けました。私達はこれらをまとめてファイルにしました。

数週間後、私達は準備が整ったというメッセージを受け、マハ・コハンからのイニシエーションを受けました。それにより彼のエネルギーを使ってエッセンスを作ることができるようになりました。あまったそれぞれの準備用物質(私達は「スクラビングエッセンス」と呼んでいます)はモハ・コハンによる個々の問題を浄化する役目を終えたため捨てなければなりませんでした。また彼は私達をアセンデットマスター・老子に紹介し私たちを彼に任せました。

老子により同じような手順を終え、また次々と同じような手順を終えました。それはとても集中的なプロセスでしたが幸運にも必要なときにお金が私達に入ってきました。

私達のファイルにはさまざまな見識と教えが入れられましたが、あと何人のアセンデットマスターと会うのか、またイニシエイトされるのか教えられませんでした。私達はあった順番に彼らに番号をつけました。15番目にきてほとんど接触が途絶えていたサン・ジェルマンが再び現れました。

まずはじめに彼はこれはプロジェクトであってただ私達の成長のためだけではないと言いました。このプロジェクトにリヒトヴェーゼンと名づけるよう命じこれを商品化し全世界のために生産することに全身全霊をささげるよう命じました。これでなぜゲルハルドとぺトラがサン・ジェルマンに呼ばれたか分かりました。ぺトラは政府機関で仕事をしていたことから法律や条例に詳しく、またエンジニアのゲルハルトは数々の生産ラインで仕事をしたことから生産、輸送、保蔵などに何が必要かを経験していました。またゲルハルトは経営を学んでいたため会社の立ち上げや会計などにも精通していました。当然これらはヒーリングの現場でスピリチュアル能力やその成果とは別に必要なものでした。

また、具現化されてないヘルパーとアドバイザーのチームに会社の設立を助けられました。彼らの働きはすばらしいものでした。デザイナー、印刷、容器やその他のために資金が必要になるといつもコンサルティングやコーチングの仕事の話がきて必要なお金が手に入りました。ひとつ例に挙げると、マイクロソフト社の特別商品にあった広告にファックスで返答しただけでトレーニングを受けることができました。その次の日私に欧州教育部のマネージャーから電話があり翌日彼に少しあった後、大きな仕事を得ることができました。それはまるで見えない手ですべて用意されているかのようでした。私がアドバイスを受けたとおり青色のガラス容器を探しているときすばらしい経験をしました。1万3千本以上の容器を一度に売る業者しか見つかりませんでした。私はこのときはまだ小さく考えていたので百数本あまりを買うつもりでした。しかしほかに選択肢はなく倉庫が必要になるのを承知の上で私はその業者からガラス容器を購入しまた。数分後、両親から電話があり私に良い考えがうかび貯蔵に必要なスペースを作ってもらうよう両親に頼みました。1万3千本以上のガラス容器が手元にある結果になったため、もう小さなスケールで考えてはだめな状況になりました。それにより私は優秀なデザイナーと質の高いラベル、印刷をする業者を探すことになりました。大きく考える必要がありました、すると必要なお金が入ってきました。
サン・ジェルマンとその後にあらわれたアセンデットマスターと同じ手順を終えました。No.18のレディー・ポルシャが現れたとき始めて全部で21のアセンデトオマスターがいるので急ぎなさいといわれました。No.21が終わり次第すぐに商品を出さなければならないと言われました。

No.21のアセンデットマスター・マリアとの学びが終わったのは1995年12月でした。そしてクリスマスが始まる少し前に近くの本とジェムストーンの店に出荷しました。

私達はすでに多くのヒーラー達とつながりがあったため私達の商品は何度も試されそれによるフィードバックは私達の浄化とイニシエーションのノートに追加されました。それは3つの大きなファイルとなり本にしなければなりませんでした。最初の要約作業の結果1000ページほどになりました。ぺトラはジャーナリストと出会いそれを300ページに要約してもらいました。時間を節約するために自分達で出版することにしました。コンピュータから印刷したものを1996年のバーデン・バーデンで開催されたヨーロッパハーモニーワールドトレードショウに出展したところ100冊ほどの受注をうけ印刷しました。これはドイツ国内での大きなブレークスルーとなりました。その後出版社を見つけ1000冊売ることができました。
この本とその後に出た本とエネルギーを入れたカードはそれぞれ12万部売れ8ヶ国語に翻訳されました。
すぐにリヒトヴェーゼンエッセンスはヒーラー達の間で広まりました。それ以前はホメオパシ、バッチフラワーとオーラソーマしか入手できませんでした。それらはすべて1950年代以前に考案されたものです。新しい強さと鮮明さ、注入されたエネルギーを兼ね備えた商品は実用的な効果をたくさんもたらしました。リヒトヴェーゼンの商品はヨーロッパで異例なほど広がりました。

私達はアセンデットマスターと同じようなプロセスを9の大天使と7の地球天使と終えました。2008年にぺトラはエロヒムとプロセスを終えそれを本にしました。
何回かエネルギー注入技術の「更新」といくつかの改善がありました。それによりほかの物体、たとえばクリスタルガラスや宝石にエネルギーを注入できるようになりました。特別ブレンドエッセンスもこれらの進歩によりできました。いくつかは「期間限定」のものとなりましたがその他はこの大きなプロジェクトの一部となりました。すべてのエネルギーは現れた順番に番号がつけられ簡単化されました。それらの名前は違う文化から来ることもあり発音が難しかったからです。最近になってようやくリヒトヴェーゼンプロジェクトのこの地球での目的が見えるようになりました。私達はいつもこのプロジェクトが私達の一生だけのプロジェクトではないと言われてきました。

歴史的に見ると、これまで秘密にされてきたスピリチュアルに関する知識が神智学ソサエティにより広まったのはここ120年のことです。それ以前はスピリチュアルの教えやイニシエーションを受けるには特別なスピリチュアルグループに入り一生をそれにささげなければなりませんでした。ヨガンガ(クリヤヨガ)のようなパラレルスピリチュアルマスターがインドから来て何千人ものフォロワーを集めました。地球上の進化を管理しているマハ・アバタ・ババジとの対話では彼は私に120年前に「一般家庭」のスピリチュアルな可能性が開かれそのプロセスが始まったことを知らされました。それにより今では誰もが普通の生活、仕事、家族を持つとともに意識とスピリチュアリティーを持つことができます。これにより生きながらにしてブッタになれる人々が今までの歴史にないほどの数になりました。もし現世でそれが達成できなくても、現世の後の人々の意識の向上は以前より容易になりました。

鍛錬やよい時間や環境が必要なヨガなどのテクニックにくらべリヒトヴェーゼンは次のステップにあります。なぜならリヒトヴェーゼンは誰もが個々が選んだスピリチュアル世界との接触を可能にしそれらと共に個々の意識を高めことができるからです。限界はなく、特別な鍛錬が必要ではありまあせん。リヒトヴェーゼンの商品に接触するだけでコネクションが生まれそれをどうするかはあなたしだいです。自己責任と精神的自由が誰しも可能になりました。

年々この発展はさらに高いエネルギーに導いています。アセンデッドマスターは人として存在してきたため私達の経験から導いてくれるすばらしい存在です。天使はさらに上におり人間からは距離がありますがマスターにはない可能性を持っています。一番最近の私たちの進展は2008年にエロヒムが現れたことです。彼らの全員が私達に現れました。私達は一度もアイディアや計画を持ったことはなく発明されたものはひとつもありません。私達はただ物理的なレベルで必要なことをしただけでこれらのエネルギーと接触を全世界の人々に可能にするために約束を守っただけです。

これだけマスターや天使に近づいたことでもちろん私達の私生活やスピリチュアルな探索に影響をもたらしました。
1999年に私は自分の体との関係が終わることに気づき私達は結婚することにしました。なぜならぺトラが払う相続税がこのプロジェクトを消滅させると考えたからです。また株式会社を設立しました。2001年に私は臨死体験をしました。私はこのうえなく幸せでしたが自分の体が死んでいくのを見ました。パニックは体の中だけにあり、私を触りもしませんでした。私は「延長時間」をもらいこの体で続けることができましたが安定するまでに数ヶ月かかりました。

この自分が体ということではなく体とコネクションを持つという経験は私を悟りの探求に進めラマナ・マハラシがはじめたアドゥヴァイタの教えの伝承者マドゥカと大まかに会いました。私はラマナのテクニックを学びそれをぺトラも私から学びとても気にいりました。

2002年に私はどこか離れたところでオフの時間が必要だと考えセーシェル島のコテッジを借り私達二人は12月から3ヶ月そこで生活しました。そこで私達はシュノーケリングと瞑想だけのシンプルな生活を送りました。一月26日日曜日の正午ごろ二人で瞑想していたときにお互いに目が合った瞬間同時に悟りを得ました。3月にドイツに帰国してまた仕事を始めました。私達は瞑想セミナーをして、リヒトヴェーゼンを使ってどうやって本当の自分を生きることで人生を変えるかを教えました。私生活での変化はありましたがリヒトヴェーゼンのプロジェクトはまだ二人で続けています。私は人から仕事についてたずねられると単純に「私は意識を高めるためのツールの生産を行っています」と答えます。